ニーチェが考える「善悪」があなたの人生観を180度変える

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こんにちは。

ニーチェはその過激な思想で有名な人ですね。

「神は死んだ」

深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込んでいるのだ」

この言葉はニーチェの言葉だと分からない人でも、知っているほど有名な言葉です。

そんなニーチェですが、

「善悪」についてもまた過激な思想を持っていました。

しかしそれは私たちをハッと驚かせるようなことばかりで、

知っていると人生観もかなり変わってきます。

まるで、毒で毒を中和されたかのような感じがするのです。

今回はニーチェが考える「善悪の正体」について紹介することにします。

ニーチェが考える善悪の正体とは

今の時代での善悪って何だろう

善悪の正体を知る前に、

まず何が「善」で、何が「悪」なのかをさらっていきましょう。

「~することは良いことだ。」

「~することは悪いことだ。」

善と悪を簡単に言い表すのであれば、こういうことです。

もっと分かりやすくするために、今の時代での善と悪を具体的に挙げてみましょう。

  • 「政治家が賄賂を受け取っていた」

これは善か悪かでいえば、悪であると考える人たちが多いでしょう。

私たちは、大きな権力をもっているであろう政治家に対して

「ズルをしてはいけない」と感じているわけです。

政治家が何でもかんでも好き勝手にやっていると

国がめちゃくちゃになってしまうかもしれないし、

自分の生活が危なくなる可能性だってあるからです。

  • 「不倫を一切しない」

最近、話題になりまくっている「不倫」。

不倫に関するニュースが出るたびにああだこうだと騒ぎ立てて、

この国の多くの人々は不倫をした当事者を攻めたてます。

逆に「不倫を一切しない」というのは善であるといえるでしょう。

不倫をすることは、自分と長い間連れ添ってきたパートナーを裏切る行為であって、

到底許されるものではないと考える人が圧倒的です。

少し短絡的ですが、

したがって不倫を一切しなければ自分のパートナーを裏切らない

「良い人」認定されるということです。

この他にも「善いこと」「悪いこと」は少し考えてみるだけでポンポンでてきます。

それでは、どうして「善と悪」はできたのでしょうか?

ニーチェはこう考えました。

生々しすぎる「善と悪の成り立ちとその正体」

「善は敗者の自尊心を守るために生まれた」

「悪は敗者のひがみによって生まれた」

これだけでは、あまり理解はできませんよね。

急に「敗者」なんて言葉がでてきたので、何がなんだか分かりません。

ここでは、こんなたとえ話をするとよく分かると思います。

古代の話。あるところに平和を愛する部族Aがいた。

武器も持たないでみんなで仲良く暮らしている。

他の部族を襲うこともなく、のどかに暮らしていた。

ある日、好戦的な武装集団が部族を訪れる。

彼らは他の部族を襲って略奪を繰り返す集団だった。

そんなことも知らず、部族Aは彼らをもてなそうとする。

武装集団はためらいもなく、部族を殺戮し色々な物を略奪する。

部族Aは武装集団に対抗しようとするが、

武器も持ったことが無かったので、やられるがままだ。

結局、部族内で生き残ったのは何の力もない老人だけだった。

頑張って武装集団に対抗しても殺されるのがオチだ。

部族には物はもう何も残っておらず、まさに手も足もでない状態だった。

ここでは、生き残った老人は「敗者」であるといえます。

さて、老人は何を思うのでしょうか。

「私たちはあいつらに何も危害を加えていないし、

何の罪も犯してはいない。」

「それなのに、あいつらは部族をめちゃくちゃにし、

何もかも奪っていった。」

「あいつらは悪いやつらだ!」「あいつらは酷いやつらだ!」

「私たちは何も罪を犯していない善人なんだ!」

生き残った老人にとっては、あの武装集団には何もかもが敵わない。

これではどうにも納得がいかないので、何か勝てるところはないかを必死で探す。

ここで生まれたのが「善と悪」なのです。

空想で「悪」をつくって、「太刀打ちできない強者に勝とうとする。」

今度は逆に「善」をつくって、「自分のプライド、自尊心を守ろうとする。」

このような成り立ちを知ってしまえば、

善と悪は「ただの負け犬の遠吠え」のように思えてしまいます。

神聖なものでは全くなく、人間の心理から生まれた生々しいもの。

弱者が強者に勝つための唯一の手段、それが「善悪」。

ニーチェはそう考えたのです。

ニーチェの考える「善悪の起源」から分かること

相手を妬み、ひがむことは自分が敗者であり続けるということ

相手を妬んだりひがんだりするのは、

上記の例の通り、相手に対して何も太刀打ちできない時に起こります。

「あの人は自分よりはるかに大きい収入を持っている」

「自分はこんなにも汗水たらして働いているのに、あの人は・・・」

「あの人は自分よりも肌がキレイだからムカつく」

今の時代は「多様性」なんて言っていますけど、

実際、私たちはたった1つのことだけに焦点を当てがちです。

なので、たった1つのことだけで太刀打ちできないと感じて妬んだりひがんだりするのです。

さっきの老人の話では、自分たちでは本当に何の手立ても無かったので、

「善と悪」という妄想をつくりだしました。

しかし、今の私たちは何の手立ても無いことはほとんどの場合ありません。

あの武装集団のように、武器をつくって対抗することができます。

資格をとる、副業をやってみる、メイクをプロに教わる・・・などなど

自分を大きく変化させて、戦っていけばいいのです。

「相手を妬み続けること、それは自分が敗者であることを認め続けるということ。」

ニーチェの考える「善悪の起源」から私はそう思いました。

それって本当に悪いことなの?

ニーチェの考える「善悪の起源」を理解できるようになると、

「悪い」といわれていることが本当に悪いことなのかと考えるようになります。

ここから一歩進んで、

本当に悪いことと、別に対して悪くないことを自分で判断できるようになると、

自分の生き方が変わっていき、人生観も変わっていきます。

それは、今まで根拠もなく「悪い」と教え込まれたことが

どうして「悪い」のかが真の意味で分かってくるようになるからです。

「どうして悪いのか」その意味が分かってしまえば、

自分が自分らしく行動できるようになります。

  • 「楽してお金儲けすることは悪いことだ。みんな汗水たらして働け。」

楽してお金儲けすることは本当に悪いことでしょうか?

そう思うかどうかは人それぞれですが・・・

ニーチェが考える「善悪の起源」と照らし合わせてみると・・・(少々過激ですが)

その人にとっては、汗水たらして働くのは「善」

楽してお金儲けすることは「悪」。

その人は収入というただ一つのことにおいて、

「楽してお金儲けする人」には太刀打ちできないので、妬みやひがみの感情を抱いている。

また、太刀打ちできないと思い込み、ずっと「汗水たらして働いてきた」。

だから、その人は「楽してお金儲けすること」を「悪」だと思っている。

自分のプライドを守るため、「汗水たらして働くこと」を「善」とする。

それでは、その人の善悪に関しては抜きにして、

本当に「楽してお金儲けすること」は「悪い」ことなのか?

客観的に見て悪いのであればやらなければ良し。

別に悪くないのならやってみてもいいのではないでしょうか?

このように、悪いかどうかを真の意味で判断できると

今まで理由もなく信じ込まされてきた「善悪」を脱出することができるので

自分の行動にあまり制限がかからなくなったり、視野が広くなっていきます。

まとめ

いかがだったでしょうか?

ニーチェが考える「善悪」はどうやって生まれたのか?

  • 善は敗者の自尊心を守るために生まれた
  • 悪は敗者のひがみによって生まれた

ここから分かることは?

  • 相手を妬み、ひがむことは自分が「敗者」であり続けること
  • その物事が本当に悪いことなのかどうかが分かる

でした。

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